卒業生からの言葉(百三十年のあゆみ H16年発行資料)
    母校「藪塚本町小学校」に勤務して
                                 昭和四十年卒

 平成十五年度より母校である藪塚本町小学校に勤務しています。教職について二十八年、太田市立東中・前橋市立笂井小・渋川市立南小・子持村立中郷小・藪塚本町立南小・桐生市立南小・藪塚本町立南小と県内を移動してきました。母校への勤務を告げられた時、これまでの転勤では無かった胸にこみ上げる何とも言えない感動がありました。
 四月、三十数年ぶりに踏み入れた第二舎は当時の面影があちらこちらにありました。六年生になりやっと入れた新校舎はピンク色に輝き、新しい時代を感じさせてくれました。放課後、帰りの会の後、屋上でフォークダンスをよく踊りました。担任してくださった大塚てい先生の「それじゃ、屋上へ。」の言葉に、「え〜また〜。」と反発の声があがりましたが、みんなの表情は何となく嬉しそうでした。屋上は視界が広がり、心地よい風が吹き抜け、異空間のようでした。
 現在、二舎は四十六年の歴史を刻み、外観は黒ずみ、古さは否めませんが、在校生たちが廊下や床を磨き上げ、今も学びの場となっています。
 昨年度は群馬県の各地からの百二十名の来校者を迎え、群馬県小学校理科研究大会を開催しました。準備にあたり、保護者の皆さんや教職員、在校生や地域の方々の有志により、「創立百三十周年のすす払い」と銘打った清掃が行われました。砂埃の多い藪塚ですので、当日は校舎の内が黄土色の空気になってしまう程でした。磨き上げられた第二舎の第一・二理科教室でも公開授業が行われました。□□先生・△△先生が校舎の古さなど忘れてしまうほど児童が活躍する活気のある授業を公開しました。
 時間を超えて、授業を受ける六年生に自分を重ね合わせる瞬間がありました。私の机の横には山藤君が、前には辰男君が、後ろにはトーマス君が座っていました。給食の時、廊下側の地袋戸から隣のクラスの子が侵入してきて、すまして給食の牛乳を飲んでいました。ふっとそんな場面が浮かんできました。
 また、今も運動会の花形である鼓笛隊も思い出の一つです。私たちの頃は金管楽器は無く、鼓隊とリコーダ、ベルリラ程度でしたが、皆が気持ちを一つにし、行進しながらの演奏は心にしっかり刻まれています。白のトレパン姿の友だちは皆凛々しく見えました。私が六年生の時、初めてバトントワラーを置くことになり、新井さんと二人で挑戦しました。バトンを回しながら先頭を行進するのは、失敗への不安と先頭を行く恥ずかしさでいっぱいでした。今も子どもたちの演奏する校歌を聞くと胸が熱くなるのは、その頃の自分と今の自分の時間の流れを擬縮して思い出し、胸からあふれてしまうからでしょうか。
 「藪塚本町立藪塚本町小学校」としての最後の年に、また、「創立百三十周年」という節目の年に母校に居られたことに深い感慨を覚えます。多くの人たちに育てられ支えられて今ここに居ることに感謝したいと思います。これからも、藪塚本町小学校の後輩たちが楽しい思い出を胸いっぱい詰め込んで卒業できるよう微力ながら頑張りたいと思います。



後輩からの言葉(学制発布百年記念 S48.2.11発行資料)
   わたしたちの学校                藪塚本町立藪塚本町小学校
                                
 ぼくたちの学校は、群馬県の南東部の平野部に面した農村のほぼ中心にあって、東には八王子の山々が顔をのぞかせ、温泉街や最近有名になったスネークセンターなどがあって毎日大勢の観光客で賑わっています。北には、すそ野をえんえんとひいた雄大な赤城山が学校を見おろすように、そびえ立っています。そのほか学校の周囲には、中学校、役場農協、診療所など町にとっては、大切な機関が集まっています。
 校舎は鉄筋三階建てで教室が二十七ほどあります。また五階には、県内でも数少ない天文台が備え付けてあります。天文台には、口径一二センチメートルの大望遠鏡があり、天文台クラブや星の会などの人たちにフルに活用されています。ぼくもクラブ員なので、ここではもう何回も観測しました。また、校内だけで、備え付けのテレビやカメラで、運動の場面やかみしばい、朝礼などがさつえいできる設備がしてあります。室内旧房の設備もボイラーで学校じゅうに蒸気を送るようになっています。今では校庭もPTAの役員さんたちの植えてくれた芝生が青々として、みどりの校庭になっています。
 僕たちの学校では、児童会活動といって先生だけに、学校じゅうのことを心配させないで自分たちからいろいろなことをやっていこうということで、委員会という名で実行しています。委員会は、学校の集会や運営をしている委員を中心に、運動、保健委員会まだまだたくさんありそれなりの活動をしています。学校では、うまくない事や改めたいことを話し合うために、学校会というものが週に一度持たれていて議長を中心に、活発に話し合っているせいか、他の学習のときもはっきりと大きな声で発表したりできます。そういう中で楽しくいっしょうけんめい学習しています。それは、今ぼくたちが毎日のように、楽しく運動している体育館が落成したときです。東京オリンピックで活躍した三栗選手と岡島選手らが本校をおとずれ体育館でとてもすばらしい鉄ぼうなどの演技といっしょに、オリンピックでかくとくした金メダルを見せてくれました。そしてぼくはそのときとても感動しました。その後まもなく戦後オリンピックで大活躍した水泳の古橋先生が本校を訪れて当時の話や、プールでの演技などをひろうしてもらい数人の代表の人は直接指導をうけました。
 ぼくたちが、こんなに恵まれた環境のもとで勉強したりできるのも、学校の先生やPTA役員さんたちをはじめ町の人たちの努力のたまものだと思ってこれからも、勉強や運動に、いっしょうけんめいはげみたいと思います。
 



後輩からの言葉(学制発布百年記念 S48.2.11発行資料)
      わたしたちの学校
       藪塚本町立藪塚本町中学校
                                
 藪塚本町は新田郡の北部にあり、野菜の栽培や養蚕などを中心とした農村です。この地方の歴史は古く、校歌にもある通り、数多くの古墳群が現在も残っています。また、江戸時代には足尾銅山で採掘された銅を運ぶ銅街道や、岡登景能の開いた岡登用水が知られています。現在では藪塚温泉が人々の憩いの湯となっており、また、世界の各種の蛇を集めた、東洋一と言われているスネーク・センターが有名です。
 わたしたちの藪塚本町中学校は、校門を入ると深い緑につつまれた庭園があり、さまざまな種類の木が植えてあります。これは開校当時、町内有志の方々が寄付してくださったそうです。そこを通り抜けると、広々とした校庭があります。西校庭がたて約七十メートル、よこ約百メートル、一段さがって東校庭がたて約百メートル、よこ約百二十メートルその奥に七月に完成したばかりのわたしたちの校舎がどっしりとかまえています。
 新校舎は鉄筋三階建てで屋上には藪塚本町中学校の校章が金色さん然と輝いています。各階中央部に普通教室四教室ずつ、その両端に特別教室があります。一階に職員室・事務室・校長室・保健室・被服室・調理室、二階に図書室・特殊学級教室・社会視聴覚教室・理科関係の教室・生徒会室・三階にLL教室・SF教室・音楽室・放送室。便所・更衣室は各階に男女別に配置され、相談室も学年に一室ずつおかれています。
 わたしたちの一日の生活はこの新校舎の更衣室から始まります。玄関は男女に分かれていて、そこからまっすぐ更衣室で運動着に着替えて教室に入ります。朝の学習・清掃・学級の時間・教科等の勉強・最後に学級の時間でおわりです。火曜日・金曜日には学級の時間の後に全校体育があります。清掃は毎朝カラ拭きで月二回ワックス塗りをします。給食は調理室からワゴンで運ばれ、階上にはリフトで上げられるのでたいへん便利になりました。
 現在、本校には二十三名の先生と四百五十二名の生徒、給食関係三名、公仕一名、警備員一名がおります。先生方生徒一丸となってよい学校づくりに取り組んでいます。
 本校の生徒役員七名を中心に専門部活動に重点を置いて活動しています。美化・購買・広報・生活・放送・保険・図書・給食の八部会は月二回(第一・第三木曜日)の定例会を持ち、先生方の御指導のもとに創意と工夫と自主性をモットーとして活動しています。昨年、意見発表会をしたところ、生徒会活動はひとりひとりの意識の盛り上がりはもちろんだが、各専門部の活動が重要なことだという意見が多かったので、ことしの生徒会活動は専門部の活動にポイントがおかれたのです。
 部活動も毎年活発で、ついに最近バスケット部の女子が県大会で二位になるという、輝かしい成績をおさめました。ことしもまた各部がめざましい活躍をし、太田市近接の大会では卓球部が男女とも優勝し、バレー部女子、庭球部男子が優勝しています。中体連の成績も近年になりりっぱなもので、郡大会でほとんどの部が優勝し、県大会では庭球部の男子が三位になり、他の部もそれぞれ活躍しました。
 以上、本校のあらましを紹介しましたが、先輩の築いた伝統の上に新校舎の完成を期にしてさらに新しいよりよい藪塚本町中学校をつくりあげていきたいと思います。