甘楽町は、織田信長の次男・信雄から8代(152年)にわたり織田氏が統治した土地で、織田家ゆかりの城下町として当時の面影を残しています。この武家屋敷地区の中小路に面して、武家屋敷の面影を残す小幡藩勘定奉行「高橋家」や、中小路の石垣(柴田家)、食い違い郭などがあります。
高橋家の庭園
心字池を中心にした庭園には、蓬莱の滝が昔のままにさわやかな音をたてています。
食い違い郭
旧陣屋の中小路に面して造られた「喰い違い郭」。戦の時の防衛上のために造られたとか。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。
大奥の庭園
大奥といっても2万石の小幡では、奥方と何人かの腰元だけでした。庭園は江戸後期に造られ、静の庭(流れのない池)と言われる大奥にふさわしい落ち着いた感じの庭園です。
中小路の石垣(柴田家)
中小路の道幅は7間(12.6m)あり、柴田家の石垣はこの中小路の右側「北側」奥の石垣で、東西方向に44.2m築かれている。1642年(寛永19年)に構築されたと思われる石垣です。
松浦家
松浦家は、武家の屋敷構えを良好に残し、雄川堰(おがわぜき)の地割と一体となって屋敷と庭園が造られています。
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