雁坂トンネルから二瀬方面に向かう旧140号線は集落を通り抜ける狭い道であった。 さすがに「道100選」に選ばれている絶景な場所である。
バイク数台でツーリングするのは騒音や狭い道での集落を通り抜けるため遠慮したほうが良い(環境と自然を守るため)。
資料1
古くから甲斐国、武蔵国両国間の往来に利用され、秩父巡礼や富士登山、身延参詣など信仰の道として利用され、戦国時代には甲斐国守護武田氏の行った金山経営も秩父方面に及んだため往来に利用され、武田氏の北武蔵侵攻路の一つにもなった。近世には埼玉県側の秩父市(旧大滝村)の栃本と山梨県側の甲州市(旧塩山市)にそれぞれ口留番所が設置され、牛馬による米穀や繭の輸送に利用された。明治初期には山梨県の主用産業となった生糸の輸出路として着目され、山梨県令藤村紫朗の主導した道路改修がなされるが、雁坂峠は1998年に雁坂トンネルが完成するまで長く未整備のままであった。
資料2
奥秩父山塊(おくちちぶさんかい)とは、野辺山高原の南東に位置する飯盛山(1643m)から雲取山(2017m)および南は三窪高原まで、広くはそれに東は奥多摩エリア、北は両神山(1723m)付近、南は大菩薩連嶺までを加えた山塊。奥秩父山地(おくちちぶさんち)ともいう。千曲川(信濃川上流)、荒川、笛吹川(富士川上流)、多摩川の4河川の水源域であり、山域に火山を殆ど含まないことも特徴となっている。
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